「あなたの光は消えていないか」 03−11−23
                    ルカ11:33〜36

 私たちは、神さまの愛の光で照らされて、歩んでいく者とされています。
 神さまは、御子を私たちの所にお送りくださることで、私たちに光が
見えるようにしてくださいました。主イエスは、台のうえに置かれた燭台の
ように、神さまの愛の光りを、いっそう明らかにしてくださいました。
私たちは、ともし火である主イエスを通して、神さまの愛を見、その愛の光に
包まれていることを知らされるのです。

 主イエスが十字架にかかって死なれたことからも、神さまの私たちに対する
愛は明らかです。私たちを愛しておられないならば、このようなことは起こりえません。
主の十字架は、起こりえないことを起こしてまで、何とか私たちの罪を取り除き、
ご自分の民として迎え入れようとしてくださる、神さまの深い御愛を明らかにしています。

 34節に「明るい」「暗い」という言葉があります。これは人の目に映る性格などでは
ありません。イエスさまによって示された神さまの愛を受け入れているかどうかによる、
明るさと暗さです。どんなに陽気で元気があったとしても、神さまの愛を受け入れて
いないのなら、その人は聖書では「暗い」といわれる人です。逆にどんなに地味でも、
悲劇の中で苦んでいても、重い病の床でじっと横たわるしかできなくとも、澄んだ目で
神さまの愛を見、それを喜んで受け止めているならば、主イエスから「明るい」と言われる
人なのです。

 「輝いている」も同じです。それは、この世で活躍をして、生き生きとしている人のこと
ではありません。それは朽ちてしまう輝きでしかありません。人を襲う闇としての死は、
そのような輝きを奪い去ります。
 しかし、神さまの愛を受けることによる輝きは、決して消えません。
たとえ死を迎えても、神さまの愛の光は注がれ、輝きを与え続け、復活の命に
至らせるからです。
 この朽ちない光を持っているゆえに、闇を恐れることなく、向き合い、進むことが
できます。